固定残業代とは

ざっくりご説明しますと,固定残業代とは,割増賃金の支払いに代えて一定額の手当を支給する場合(手当型)と基本給の中に割増賃金を組み込んで支給する場合(組込型)がありますが,いずれしろ,割増賃金として残業する前からある程度の金額を支払うという割増賃金の支払い方法です。

固定残業代の有効性が争われることがよくありますが,これは,固定残業代として払われたものを基本給に含めて残業代の計算をするべきかどうかという議論です。

少しわかりづらいのですが,固定残業代が無効となると,残業代の計算の前提となる算定基礎額が増額され,残業代として支払っていた固定残業代が未払いであることになるので,支払われる金額に大きな差が出ます。

従前の固定残業代の有効性の議論

ここでは,固定残業代の有効性の議論の流れをなるべくわかりやすく説明します。

もともと,固定残業代の有効性は,労働法は,残業代の計算方法をしっかり記載して労働者を保護しているのだから,固定残業代の金額や計算方法が,労働者から見て,残業代が支払われているのか,支払われているとしてどのような計算で支払われているのかわからないのであれば,それは労働者の利益を守るという労働法の趣旨に照らして残業代として払われたものと考えるべきではないのではないか,という問題意識がありました。

そして,この点について,少なくとも手当型については一応基本給と区別して支給されている以上は,労働者の側で残業代がちゃんと支払われているかどうかがわかるので有効であるという考え方が定着しています。これを明確区分性の要件と言います。

ただ,どのような場合に明確区分性が満たされていると言えるのか,どこまでわかりやすいルールにしなければならないのかが曖昧で,裁判例でも考慮要素が統一されているとは言えませんでした。また,計算方法はとてもわかりやすいけれども,月に100時間以上の残業をさせる前提の固定残業代は別の理由で無効なのではないか(いわゆる過労死ラインを大きく超えています。)等,まさに議論は百花繚乱という状況でした。さらに,手当の内容をみると,残業代として支払われているのかよくわからないものをどう処理するのかも争点になっていました。例えば,営業手当とか精勤手当とかが残業代の性質があると言われても労働者からみるとピンと来ないわけです。

このように,裁判実務上は,明確区分性の要件だけでなく,そもそも支払われたものが労働に対する対価として支払われたものなのか,という視点で固定残業代の有効性が問題となってくるようになっていました。一般的に対価性の要件と言われています。

先日,東京地裁の労働部の裁判官が講師を務める研修会に行ってきましたが,その時にも,「いまだにテックジャパンの判例の話に終始されておられる先生がいらっしゃいますが,今はそのさきの議論をしています」というようなお話をされていました。テックジャパン事件とは明確区分性の要件についての著名な最高裁判例です。

そこで,現れたのが今回のコラムのテーマである平成30年7月19日の最高裁判決(民集259号77頁)です。事例判断ですが,それでも対価性の要件についての一定の判断を示したものであり,実務的に大きな影響があります。

本判例の判断枠組み

原審は,固定残業代(この事案では「業務手当」という名称でした。)の金額が何時間分なのかも明示されていないし,労働時間も休憩時間が反映されていないことから,固定残業代を上回る残業が発生しているかもわからないことを理由に固定残業代が時間外手当として支払われたものということはできないとしました。

しかし,最高裁は,固定残業代が労働に対する対価として支払われていれば時間外手当として支払われていたものといえると判示しました。そして,対価として支払われていたかどうかは,「雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである」としました。

具体的事案については,契約書等によって「業務手当」が時間外労働に対する対価として支払われるものと位置付けられていたこと,さらに,「業務手当」の金額を月の平均所定労働時間から計算すると約28時間分の時間外労働に対する対価に相当する金額となるが,それは実際の時間外労働等の状況と大きくかい離するものではないことを理由に,「業務手当」が時間外労働の対価として支払われたものといえるとしました。

つまり,労働契約の内容を具体的に検討して,ある手当が固定残業代として払われていると評価できること,それと実際の時間外労働に対する残業代と固定残業代に大きなかい離がなければ,固定残業代は残業代として支払われたものといえるということです。

本判例に対する評価

判例の枠組み自体は,私は妥当な解決を導くにはかなり有用なものだと考えています。色々な裁判官の訴訟指揮からも,やはり支払われれたものが労働の対価であるかどうかを客観的に検討しているという印象でしたので,裁判実務の感覚的にも受け入れやすいものなのではないかと思います。

例えば,従来,固定残業代の計算根拠が不明であるとか,残業代の清算されていなかったとか,労務管理がしっかりされていなかったとか,等の理由で固定残業代が残業代として支払われたものといえないという主張や判断がされたりもしました。このような場合に固定残業代が無効となると,労働者側も,残業代として固定残業代が払われていることを認識していたのに,たまたま使用者に落ち度があったことで労働者を不当に利することになってしまいかねないという状況にありました。

判例の枠組みでは,契約内容と具体的な時間外労働を実質的にみて,客観的に時間外労働に対する対価といえるかを検討し,しかも「大きなかい離」がなければ,多少未払いがあっても問題がないことを前提としていると思われ,その他の細かい点については検討を不要としているようにも読め,瑣末な点は捨象した公平な解決がしやすい判断枠組みといえると思います。

使用者側の代理人となる場合はもちろんですが,労働者側の代理人となる場合でもしっかりと本判例を意識した主張立証が必要になるでしょう。